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ニパウイルス感染症 2 |
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独立行政法人農業技術研究機構動物衛生研究所 |
山川 睦、加来義浩、筒井俊之、坂本研一 |
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4 ニパウイルスの性状 |
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Negeri Sembilan 州の Sungai Nipah村の脳炎患者から分離されたウイルスは、CDCによる詳細な研究により、パラミクソウイルス科に属し、オーストラリアで分離されたヘンドラウイルス(1994年に発生した競走馬及び人の重篤な呼吸器病の原因ウイルス)と血清学的に交差することが確認された。そのため当初ヘンドラ様ウイルス(Hendra-like
virus)と呼ばれていたが、遺伝子解析の結果、ヘンドラウイルスとは異なるウイルスであることが明らかとなり、分離された地名にちなんでニパウイルスと命名された。また、塩基配列をもとに行った分子系統樹解析の結果から、ニパウイルスはヘンドラウイルスとともにモルビリウイルス属(犬ジステンパーウイルスや牛疫ウイルス、小反芻獣疫ウイルス等が含まれる)やレスピロウイルス属に近縁であるが、パラミクソウイルス科の既存のどの属にも分類し得ないことが判明した。現在、両ウイルスは新しく設けられたヘニパウイルス属に分類されている。ちなみに、ニパウイルスとヘンドラウイルスの各遺伝子(N,P,V,C,M,F,G
genes)間には塩基レベルで15〜29.9%、アミノ酸レベルで7.9〜32.4%の相違が認められる。 |
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ニパウイルスをVero細胞等の培養細胞に接種すると、特徴的なCPE(細胞変性効果)を見ることができる。すなわち、シンシチウム(細胞融合による合胞体)が出現し、やがて多核巨細胞を形成する。ウイルス粒子の電子顕微鏡観察では、パラミクソウイルス特有の矢筈(herringbone)型のヌクレオカプシド構造(長さ約1.6nm、平均直径21nm)が認められる。ウイルス粒子のサイズは100nm以下であるが、多形性を示す粒子のサイズにはばらつきがある(平均500nm)。エンベロープ上には、長さ約10nmの突起(projection)が散在している。人、豚、犬の異なる動物種から分離されたニパウイルスの塩基配列は、今まで調べられた限りでは、全く同じである。フルーツコウモリから分離されたウイルスでは、N及びP遺伝子にそれぞれ1個の塩基置換が認められたのみであった。 |
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5 臨床症状 |
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豚の場合、一般に死亡率は低いが(高くても5%程度)、感染率は高く、養豚場によっては95%に及ぶことがある。感染豚の多数は症状を示さない。7〜14日の潜伏期を経て呼吸器あるいは神経症状を呈する。呼吸器症状としては、呼吸数増加、開口呼吸、強制呼吸、激しい発咳等がみられる。神経症状としては、頭を押しつける、柵を噛むというような症状の他に、振戦、テタニー性痙攣、筋肉攣縮等が観察される。年齢によって症状が若干異なり、成豚では神経症状が、食用豚では呼吸器症状が強く現れる傾向にある。繁殖雌豚、種豚では時に無症状のまま、あるいは鼻孔からの出血を伴って死に至ることがある。また、妊娠豚が感染した場合には、流産が認められることがある。 |
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人では、神経症状が主体で呼吸器症状は少なく、実際には不顕性感染が多いと言われている。 |
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6 病理 |
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感染豚には顕著な肺及び脳病変が観察される。特に肺水腫、点状及び斑状出血などの肺病変が認められる。広範囲にわたる出血と肺血管内皮細胞の巨細胞形成を主徴とする間質性肺炎が特徴である。一般的に線維素様壊死を伴う血管炎、出血、血栓症のもととなる単核細胞の浸潤が肺、腎臓、脳組織にみられる。脳には、これら以外にも非化膿性髄膜炎、神経膠症が認められる。血管内皮細胞には大量のウイルス抗原が検出されるが、特に肺において著明である。上部気道管腔内の細胞片や滲出物にウイルス抗原がみられることから、気道を経てウイルスが排出され、伝播していく可能性が示唆されている。 |
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人の場合、脳病変が主体である。大脳皮質から脳幹に及ぶ広汎な血管炎が認められ、神経細胞の変性・壊死、囲管性細胞浸潤などが観察される。ウイルス抗原は中枢神経系の内皮細胞、神経細胞に広く検出されるが、その他の組織での検出頻度は低い。 |
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7 診断 |
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ニパウイルスは豚だけでなく、人を含むその他の動物にとっても危険な病原体であるため、ウイルス分離、PCR、ウイルス中和試験による確定診断、診断用ELISA抗原の調整、動物接種試験等、生ウイルスを使用するすべての操作は、バイオセーフティレベル3(BSL3)以上の施設内で熟練したスタッフによって実施される必要がある。このため、家畜の場合、ニパウイルス感染症の診断は主にオーストラリア家畜衛生研究所のBSL4施設内で行われている。現在では、マレーシアにおいても国立獣医学研究所内にBSL3施設が完成し、自国での診断が可能となっている。ニパウイルス感染が疑われる地域での獣医師の活動(サンプリング等)、確定診断のために施設に持ち込むまでの通常実験室でのサンプル処理法については、安全指針が作成されている。 |
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(1) 血清学的診断 |
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ニパウイルス感染症発生当初は、ガンマー線照射して不活化したヘンドラウイルスを抗原とする間接ELISA法が採用されていた(ニパウイルスと交差反応性を示すため)が、現在ではニパウイルスそのものを抗原とする方法に切り替えられており、また、組換えGタンパク質あるいはMタンパク質を抗原とする方法も試みられている。被検血清は感染性を不活化するため、界面活性剤を加えて加熱処理した後に用いられている。ELISA法は特異性が高い分、非特異反応がみられることも多い。したがって、サーベイランス計画の中で汚染農場を摘発するためのスクリーニングテストとして用いるには最も有効な方法であるが、ニパウイルス感染を示す決定的診断方法とはならない。もっとも確実な血清診断法は、言うまでもなくウイルス中和試験である。そのため、ELISA法でスクリーニングし、中和試験によって確定する方法がとられている。 |
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(2) 免疫組織化学染色 |
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肺や脳などのホルマリン固定感染組織内のウイルス抗原を、イムノペルオキシダーゼ検出系を用いた発色によって検出する方法で、ウイルス感染を直接証明する上で最も有効である。固定した組織を用いるため、病理組織検査が可能な実験室であればどこでも採用できる安全な診断法であり、ニパウイルス感染症の診断において最も推奨される。サンプリングには急性期にある動物を選ぶのが理想的であり、可能な限り多くの動物(特に豚の場合)を検査する必要がある。 |
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(3) RT-PCR法 |
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RT-PCR(reverse transcriptase polymerase chain reaction)法は、上記の方法に代わるウイルス検出法として用いることができる。核タンパク質遺伝子(N
gene)などを標的としたニパウイルス特異的プライマーが設計されている。感度、迅速性・特異性に優れている反面、サンプル採取・処理過程におけるコンタミネーションによる偽陽性(誤診)の問題がつきまとうのが難点である。また、PCRの材料として感染ウイルスを含む新鮮組織を用いる関係上、術者への感染が危惧されることから、BSL3以上の施設で実施すべきである。 |
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(4) ウイルス分離 |
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マレーシアにおける豚のニパウイルス感染は、Vero細胞等を用いたウイルス分離によって確認されたが、ウイルス分離操作は、実験室スタッフにとって非常に危険な作業を伴う。ニパウイルス感染症の野外調査を行う場合、当然のことながらウイルス分離を主体とすべきではない。 |
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8 予防・治療 |
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有効な予防法・治療法はない。 |
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9 追記 |
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これまで、本病が豚肉の摂食を介して人に感染することは知られておらず、米国及びオーストラリアの専門家も食品衛生上の問題として扱うことには否定的である。マレーシアにおいては本病の発生に伴って豚肉の消費が低下し、多大の損害を受けたということである。 マレーシア政府の尽力により、1999年にはニパウイルス感染症の発生は一応の終息をみたが、2000年1月に新たに養豚業者1名が死亡し、約200名の抗体陽性者が明らかとなった。さらに同年6月以降、抗体調査で陽性と診断されたPerak州の1養豚場1728頭を皮切りに新たな豚の殺処分が行われるようになり、新たな感染者も見つかった。最終的に110万頭の豚が殺処分され、2001年以降、ニパウイルスは沈黙を保ち続けている。わが国での本病発生の可能性は低いと考えられるが、不測の事態に備えて診断体制を確立すべきである。ウイルスの使用に制限があることから、少なくともELISA用抗原並びに参照抗体の導入を急がなければならない。 |
ニパウイルス感染症発生後、 廃墟となった養豚場 |
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今般、自然宿主がほぼ特定されたが、今後は豚における持続感染の有無、豚以外の動物の感染源としての可能性などについてさらなる調査・研究を行う必要がある。動物衛生研究所では、マレーシア政府の要請を受け、2001年より国立獣医学研究所とともにニパウイルスの研究を開始した。また、オーストラリア家畜衛生研究所との連携も深めつつある。日本の貢献が期待されるところである。 |
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