第8回 人と動物の共通感染症研究会学術集会 研究会目次

[教育講演2] わが国における野兎病の過去と現在について
 
藤田 博己 (大原綜合病院附属大原研究所)
 
  野兎病菌Francisella tularensis はGram陰性の小型多形性菌(通常は短桿菌)で通性細胞寄生性を示す.分布地域は北半球の広い地域におよぶ.
 
  野兎病tularemiaの最も古い記録は,本間棗軒(1837)の『瘍科秘録』第9巻の「食兎中毒」(1852年には「中兎毒」に改名)とされる.これはノウサギから感染するリンパ節腫脹性疾患としての臨床記載である.病原細菌学が確立以後の時代では,アメリカにおけるPearse(1911)のヒトの「アブ熱」とMcCoy(1911)による野生動物のハタリス間に流行したペスト様疾患の両記載が野兎病の最初の報告とされる.野兎病菌はこのときのハタリスからMcCoy and Chapin(1912)によって分離記載された.日本における中兎毒は大原(1925)と青木ら(1925)によって相次いで再発見され,同年に芳賀・大原(1925)は病原体を分離・確定した.Francis and Moore(1926)は,大原から送付された患者リンパ節から野兎病菌を分離し,両国の疾患の同一性を確認した.
 
  野兎病菌は,さまざまな種類の鳥獣類に感染可能で,主に吸血性節足動物を媒介(あるいは保菌)者として各種動物間に維持されている.ヒトの野兎病は,これらの動物との接触によって起こる.初発症状は感冒様で,多くの場合に病原との接触部位に関連した表在リンパ節腫脹をともなう.症状は多彩で腫脹リンパ節の部位による複数の病型があるために,患者が受診する医療機関の診療科は一定していない.病型は,大まかには病原の侵入部位に潰瘍を形成し所属リンパ節腫脹の認められる潰瘍リンパ節型,潰瘍形成を欠くリンパ節型,リンパ節腫脹のないチフス型(消化器系の腸チフス様疾患とは異なる)に分けられるが,リンパ節腫脹部位の違いによって鼻リンパ節型,眼リンパ節型,扁桃リンパ節型に分類されることもある.このほか,日本にはほとんど知られていない病型として肺炎型がある.国内からは,進行癌と診断されたために胃の全摘術を受けた胃型野兎病が知られる.ヒト以外の動物の野兎病は,動物の種類によってかなり症状が異なる.国内での感染源のほとんどを占めるノウサギは感染すると多くの場合は敗血症に至り死亡するようである.概してイヌ科のような肉食性の種類は耐性が強いとされる.国内における動物の野兎病の情報は皆無に近い.国内でヒトの野兎病の感染源として記録されている動物としては,ノウサギが最も多く感染源の90%以上を占める.他の動物種では,ユキウサギ,飼いウサギ,ニホンリス,ムササビ,ツキノワグマ,ヒミズ,飼い犬,飼い猫,カラス,キジ,ヤマドリ,ニワトリからの感染例や菌の検出例が少数報告されているに過ぎない.ヒトの野兎病は,北海道から九州北部まで発生が知られるが,中国,四国地方からの記録はまだない.これまでの国内総発生数は1,300から1,500の範囲と推定され,1920年代からの発生記録によれば,多い年では70例を超えたこともあったが,1970年以降では年10例前後で,最近では1999年の千葉県での1例以後の発生は途絶えていた.届け出制度以後では,2008年に福島県と千葉県での各1例が1月と2月に発生,また5月には青森県でも2例の感染例があった.いずれもノウサギとの接触が原因であった.
 
  野兎病は,動物,ヒトともにこの疾患を想定した検査が実施されない限り確定診断に至ることは困難なことから,これまでに多数の潜在例があったものと予想される.
 
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