第4回 人と動物の共通感染症研究会学術集会 研究会目次


 
[教育講演] 新興再興感染症発生における国立感染症研究所の役割
 
  倉田 毅
国立感染症研究所長
 
  重要な感染症の登場はいつも“突然”であり、前兆は見えないことも多い。1969年のラッサ熱、1976年のエボラ出血熱、1993年のハンタウイルス肺症候群、2003年のsars、および1997年と2004年の高病原性鳥インフルエンザによるヒト新型インフルエンザ等の出現である。これらの重要疾患は、いずれもZoonosisである(エボラは、未だはっきりしてはいないが)。1992年米大統領府は、“Emerging and Re-emerging Infectious Diseases”と称して、感染症対策に警鐘を鳴らした。次いでCDC、WHOは強力な体制を整備し、このキーワードを用いて、感染症対策の見直しを行った。その理由は、遡ること20年余りに30以上のウイルス細菌等の重要な感染症が相次いで登場したこと、従来よりある狂犬病、インフルエンザ、結核(含多剤体制結核)、マラリア等が減る傾向にはないこと等々である。特にエイズは20世紀最後の最も重要なる感染症となった。1977年10月“天然痘”が根絶された時、世界は狂喜した。1967年米国厚生長官は“もう感染症の時代は終わった。今後医師は教科書の感染症のページを開く必要はなくなった”と高らかに宣言した。30年後の結果は皆さんご存知のとおりである。天然痘は、20世紀だけで2?3億人を犠牲にしたと推計されている。そして、根絶25年の今、世界はテロによる天然痘の再来に怯えている。たとえばマラリアは、熱帯熱マラリア罹患者は年間500万近くあり、その半数は死亡しているという。すると100年間で3億人余ということになる。伝播地域と様式は異なるが、結核と共に無視はできない。狂犬病で不気味なのは、宿主域の拡大である。年間35000人の犠牲者がでている。
 
  わが国において感染症分野に研究費が投入されたのは、厚生労働省において、わずか数年前であり、金額にして約10数億である。この金額は米nihのグラントをとっている米の友人の1人分の約1.5倍である。若い人10人分とほぼイコールである。しかし、ゼロが意味のある数字になったことは大きい。文部省においても古くからあった科研費基礎研究分野(ウイルス、細菌等)の総額も決して多くはないが‐
 
  さて、新興再興感染症とは先の英語の和訳である。英語の意味とずれはあるが、一応行政を含めて定着している。
 
  国立感染症研究所は5年前の感染症法(略称)の施行にともない重要な役割を担うことになった。一つは、感染症の患者(法律に規定されている疾患)のサーベイランスである。全国各地の保健所から一定のフォームに従って24時間情報が入るようになっている。それらを解析し、まとめて行政施策の判断のベースとなるデータを提供することである。重要な発生があるときには必要に応じ現地に入り、疫学調査を行う。この際、感染症情報センターのメンバーとFETP(Field Epidemiology Training Program)の研修生も同行し(積極的疫学調査)、現地の自治体の方々に協力する。
 
  もう一つの重要なことは、このサーベイランスの中で検体が地方衛生研究所に送付され、実験室診断に供せられ、さらに全数報告例の病原体については、国立感染症研究所に送られ診断がされる。新しいあるいは珍しい感染症で適切な実験室診断法がない場合には、時代に沿った遺伝子、抗原、抗体等の診断法を迅速に確立し、地方衛生研究所等に普及させる責務がある。分離病原体については、病原体の基礎的性状解析と、ワクチン等の基礎研究を行ってきている。その他海外での重篤感染症発生に関してwhoの要請により、主としてアジア地区のいわゆる“アウトブレイク”対策に所員を派遣し(情報センター、各ウイルス担当部)支援している。その他感染研は、ワクチン等生物製剤の品質管理を担当してきている。(創立は1947年)
 
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