感染症トピックス 研究会目次


わが国における犬の狂犬病の流行と防疫の歴史 6
 
狂犬病の防疫対策
  法律と規制の変遷については前述のとおりであるが、 防疫対策はどのように行われてきたのであろうか。 明治時代の新聞記事を見ると、 発生の都度これを報道し、 住民に注意を喚起したり、 警察官は出動して巡視を行い、 畜犬規則の定めによって無主の犬の処分や飼い主への警告等を主体に対応していた。 しかし、 住民の心情は単純ではなく、 無主の犬が撲殺処分されることには反感をもって、 無主の犬にまで敢えて畜主記名の偽鑑札を付けて処分を逃れさせ、 犬の命を救おうとする輩も出現するに至った。 この弊害を取り除くためには、 「犬税」 を納入したものだけを飼い主のいる犬と定め、 犬税を納めていない犬はたとえ飼い主のある犬であっても飼い主のいない犬と見なしてこれを処分の対象とすることとした。
 
  当時の防疫対策の一例として、 狂犬病予防に関する依命通達 〔大正3 (1914) 年12月8日 農第9423号〕 をここに掲げてみることにする。
 
  農務局長および衛生局長は、 防疫対策の実効を上げるためには、 地域住民の協力を得ることが大切であるとして、 大正3 (1914) 年にこの依命通達をもって各都道府県に対して次の事項を通達した。
通俗衛生講話を行い又は印刷物を配布し狂犬病の危険、 予防その他に付き一般の注意を喚起すること
所有者ある畜犬と所有者なき浮浪犬とを明らかに区別する方法を設けること
畜犬は畜主をして狂犬病流行中なるべく繋留その他の方法に依り他犬と接近せしめざること
浮浪犬は掃蕩の目的を以って捕獲し適当の処置を為すこと
狂犬病の疑いある畜犬を鎖錮又は隔離せしめたる場合は少なくとも十日間時々検診を行うこと
狂犬病の発生に付いてはその都度遅滞なく流行の系統を調査し適切なる措置を為すこと
狂犬病に罹り又はその疑いある犬に咬まれたるものある場合は直に最寄警察署に就き指揮を請わしめること
斃犬に付いては成るべく検案を為したる上相当の措置を為すこと
 
  この各項目がその後の啓発活動の基本となっている。
 

  大正12 (1923) 年に旧家畜傳染病豫防法を制定し、 狂犬病を法定伝染病に指定して対応しても一向に減少しない現実に、 農商務省畜産局長は大正12 (1923) 年12月5日 「狂犬病予防に関する通牒」 を地方長官に宛て発令し、 多発する傾向は保安上の問題のみならず、 欧米文明各国に対し国家の対面上遺憾であり、 発生の大半は野犬が本病伝播の主因となっていることから、 野犬掃討、 畜犬の繋留、 口網箝口の励行に努め、 発生のない県においても平時より畜犬整理、 野犬掃討を厳重にして侵入を未然に防止するよう通達された。 このときの添付資料によれば、 大正12 (1923) 年の発生は、 三府二十三県、 狂犬病頭数2,702頭、 恐水病発生者数138名に達した(21)。

 
  大正14 (1925) 年農林省は全国の家畜衛生主任者会議を召集し、 野犬掃蕩に要した経費の国庫負担、 犬の買い上げ措置、 知識普及啓発のための予防週間を定め実施することを決定した。
 
〔予防週間実施前措置〕
ポスター、 ビラ、 パンフレット宣伝、 新聞掲載、 放送、 講話、 飼養犬戸口調査、 関係者打ち合わせ会開催
〔予防期間中措置〕
畜犬繋留の強制、 畜犬の届出並びに整理、 犬の買上げ、 野犬掃蕩、 予防注射、 宣伝
〔期間後行うべき事項〕
期間中の成績とりまとめと本省報告、 本省での集計と新聞雑誌掲載
〔予防週間に対する評価判定〕
1 予防知識普及向上
特に警察官の理解が深まるのみでなく、 一般大衆の知識も向上し、 事務運用上の効率化がはかられた。
2 畜犬整理、 野犬掃蕩
週間中の新規届出11%増加、 不用犬買上げ81%増加、 捕獲35%増加、 薬殺・撲殺、 無償提供43%
3 予防注射の普及
予防注射総頭数のうち28%は週間中の実績頭数増加
 
  以上の対策実施効果は絶大で、 予防週間実施後の狂犬病発生数は激減した。
 
  官民一体となった予防週間実行により効果を上げ、 評価がなされる一方、 街路上で繰り広げられる撲殺行為に対する非難の声も上がった。
 
  人畜保健衛生上とはいえ多くの犬が痛ましい犠牲となったことは、 動物愛護上から惻隠の情禁じがたしとして、 昭和2 (1927) 年6月に千葉県警察本部衛生課長が関係者と協議して市民に犠牲犬の慰霊碑建立募金を呼びかけたところ (19)、 たちまちに多くの市民が県内各警察署に募金を持ち寄り、 千葉寺境内に慰霊碑が建立され 、 現在も篤志者による卒塔婆と季節の花が手向けられている。 この碑の裏面には 「狂犬病予防の犬供養 昭和二年八月建之 千葉県有志」 と刻まれている。
 
  なお、 第二次大戦後は警察関係法令の改正によって、 警察官が防疫の現場においては、 その第一線に立つことはなくなり、 今日に至っている。
 
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