第2回シンポジウム 「ズーノシスのリスクアナリシスを考える」 研究会目次


1 ズーノーシスのリスクアナリシスの必要性
 

吉川泰弘 東京大学大学院農学生命科学研究科

 

  最近、食品科学やバイオテロなどを中心にリスク分析という言葉が良く使われる。地震や原発、航空事故などに関しては、古くからリスク分析や評価という言葉が使われてきた。しかし、感染症などについては、比較的新しい概念であり、その内容が厳密に検討されているとは言いがたい。世界的には米国やオーストラリアなどには、輸入食品に由来する動物由来感染症のリスク分析理論や、その実践法について書かれたものがある。

 
  ここでは感染症のリスク科学という観点から、ヒトと動物の共通感染症を考えてみたい。ちなみにリスク分析という言葉は危険性の確率を読み取ることである。すなわち起こりうる危害(ハザード)の同定、評価であり、リスク科学は想定される危険性に対応する確率論的な論理学といえる。なお、ハザードの語源はアラビアのダイス・ゲームの az−zahrで「危険を冒すこと」を意味し、リスクはイタリア語のrisicoに由来する、「災いや危険」を意味する言葉であると言われている。
 

  リスク科学とは? : リスク科学( risk science)は、自然科学と人文科学の統合科学である。基本要素としてリスク評価、分析(リスク・アセスメント)、リスク管理(リスク・マネージメント)、リスクコミュニケーションからなる。リスク分析での自然科学と社会科学の大きな違いは、自然科学の計測では実験リスク科学とでも言うべき、仮説1―実験−結果・考察−仮説2という実験的シミュレーションのプロセスが可能である点である。しかし、感染症のような場合は実験動物を用いた毒性評価などど違い、流行を実験してみることは不可能で、疫学調査と、シミュレーションモデルが基本となる。

 
  リスク分析 : リスク分析というと、過去の事例を詳細に分析するだけに終わることが多い。しかし、分析のもうひとつの大きな役割は、モデルを作成し、それに基づいて出来るだけ、正確に予測することである。化学物質の有害作用や医薬品の副作用などについては、動物モデルを使用し、動物実験の結果を人に外挿することは、既にマニュアル化されている。しかし、水俣病や多くの公害病、種々の薬害訴訟を例にとるまでもなく、社会現象化した問題については、自然科学者はこの分野の研究に不得手である。自然科学の手法が現象を要素に分解し、単純化された全ての要素とその数値を明らかにした上で、仮説を立てて検証するのに対し、1)この種の社会現象は基本的に複雑系の問題である点、2)取った対応が次の仮説に影響し、やり直しがきかない点(非線形性)が、本質的に違うのである。数量化しにくいものを数値化すること、不明な要素を含んだままモデルを作成し、確率論的に提示する必要がある。今の自然科学者は初めからこのようにはトレーニングされていない。要素分析と過去の記述をするのが能力の限界であろうか?早く適切な人材を育成することが、社会にとっても、研究者にとっても喫緊の課題である。
 

  リスク管理 : リスク管理には予防措置と危機管理の2要素がある。リスク分析のスプレッド・シートの中から、感受性分析をすると、どの要素が流行のキーになるかが重み付けされて評価出来る。従って、リスク管理の有効性が客観的に予測出来るわけである。予防措置は危害が発生するのを避けるため、あるいは軽減するための措置であり、いわば感染症に対するワクチンのようなものである。しかし、人間の対応には万全ということはありえない。予防措置を取ったとしても、現実に災厄が起こることは十分にあり得る。危機管理はこのための対応処置である。さらに危機管理には短期的応急措置と長期的対応がある。疫学調査とリスク分析が出来ていないと、対応は目前の応急措置のみであり、長期的対応のための戦略が出来ない。この 2つを明瞭に分けて考えること、危機管理措置の客観的評価がなされていないと、長期的に問題を生むことになるであろう。この分野は主として法学や行政学、政治学のノウハウも必要になる。分析的な自然科学の方法論よりは社会科学系のセンスが重要である。勿論、対応の基礎には感染症に関する基本的理解がなければならない。

 
  リスクコミュニケーション : 他の2つの要素に比べて、リスクコミュニケーションという概念は何となくはっきりしない。リスク分析、管理に関する情報がどのように伝達されるか?基本的には一般国民に判るように伝えられるべきである。そのためには行政に説明責任があり、リスクとベネフィット、コストとベネフィットの納得の行く説明が必要である。行政改革が何故国民に痛みを伴うのか、改革が実現しないとどのようなデメリットとなって、国民に負担がかかるのか?これはリスクコミュニケーションである。コミュニケーションの重要な要素は相互伝達性(前方向と逆方向性:フィードフォワードとフィードバック・システム)である。片側だけだと上意下達あるいは行政に対する告発と行政批判に終始する。特に媒介となるメディアに先入観やキャンペーン意図があると、冷静な情報伝達が不可能になり、作られたパニックが生じる事になる。またリスクコミュニケーションとして、危機管理対応に対する再評価は必須である。メディアも行政も国民も、喉元を過ぎるとすっかり忘れてしまい、再評価を済ませないことがほとんどである。失敗学を取り入れて学ぶ姿勢が重要である。この分野では社会学や政治学、情報学あるいは大衆心理学というセンスが必要とされる。科学者が基準とする危険率のかけ算から安全性を解いても、大衆は安心感のかけ算を行って、1から安心感を引いたものを常に、危険率として考える。安全と安心は全く反対方向を向いていることになる。ゼロリスクはなぜ成り立たないのか?安全と安心は何故違うのか?といった説明が必要である。
 
  このような点について、ズーノーシスの具体例で問題を提起したい。
 
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